☆ 入会した理由・きっかけ  ☆


 小さい頃からあまり信仰に縁がなく、大人になる頃には、科学で証明できない以上、神様はいないと、すっかり無神論者になっていました。もし神様がいないとしたら、この世に絶対的なものは何もなく、正義も、善行も、人の営みのすべてが自己満足に過ぎないのではと思えてなりませんでした。
 にわかに人生が空しく見えてきました。

そんな空しさをほんの一時忘れるために、つかの間の楽しさを追い求める人生に一体何の意味があるのかと、悩みました。その悩みは、自分の寂しい考え方が招いているとは知りつつも、空しい人生の日々から脱することができずにいました。この空しさは後に、自分の過去世からの潜在している心理であることを知りましたが、心の奥底では、人生の確かな意味を、儚く消えてなくならない永遠の何かを求めていたように思います。

 ある日、インターネットで調べ物をしていた所、神様の実在を前提とした、いわゆる精神世界と呼ばれる考え方があることを知り、暗く閉ざされていた世界の扉が開かれるような感動を覚えました。それから無我夢中で寝るのも忘れて、インターネットの中の今まで知らなかった新しい世界を旅しました。そこで契山館のサイトも知りました。そして、この世界は無意味ではなく、神から生まれ神へと還る万物の進化のためにあることを信じるようになりました。人生に一筋の光が見えたような大きな浄福がありました。部屋には朝日が差し込んでいました。

 その日から霊的世界の勉強が始まりました。しかし安堵したのもつかの間、今度は終末論なるものがあることを知りました。そう遠くない未来に終末が訪れ、人は自らのカルマの清算として審判される、という考え方があることを知りました。とたんに今度はうろたえ慌てました。自分の人生を振り返ったとき、とても天国に入ることができるとは思えなかったからです。終末までの残り少ない時間に、何かをしなければならない!と思ってはみたものの、精神世界の説くように、ただ善行をしてみても、不安は一向におさまりません。これはもう、正しい指導者のもとで修行をするしかない!

 それから、いくつかの団体を見学しに行きました。しかし、主張に矛盾を感じたり、見学に行っても担当者に会えなかったりと、どれも失敗に終わりました。そんな折、少しずつ手に入れて読み進めていた師の著書に、人は神伝の法を行ずることによって、終末を恐れないで生きる道がある、との言葉がありました。その確信に満ちた揺るぎのない言葉に、理性は納得し、心は岩清水が流れるように潤いました。それは今まで読んだことのない不思議な魅力を持った書物でした。いつしか不安も和らいでいました。

 数ヵ月後、東京で行われた霊的集会を見学しました。初めての見学であることと、ここを見学して満足しなかったら…、と少しの不安はありましたが、師の本物の迫力と、霊言の内容に感動し、その場で入会案内書をいただいて、その日のうちに入会しました。もっと早くに入会していたらと思いましたが、何につけてもとかく頭で考えてしまって及び腰な自分を納得させるために、守護霊指導霊は相当苦心なさったことを思うと、恥じ入る思いがします。あれこれ逡巡しつつも、それでも何とか最後に契山館にたどり着いて、そして勇気を出して飛び込んで本当によかったと思います。


 これをお読みの方の中には、悩みや苦しみに今にも押しつぶされそうになっている人、また今とても幸せで人生に何の問題もないという人も、いろんな方がいらっしゃるかと思います。それでも、どんな人であっても、次の問いについて考えてみてほしいのです。

 もし神様がいるとしたら、人は人生において何をすべきなのでしょう。
 そして、神様がすでにその道を地上に示していたとしたら…。