暴風、スサノオこそ救いなり



風が駆け抜け、各地で被害をもたらしました。

科学が進歩し、社会が便利になっても、自然の脅威に人は余りに脆く儚い存在である事を認識させます。

自然とは、山の神、川の神、海の神など、人は、畏れ敬、恵みに感謝し、時に為すすべ無い力に、怒りを向ける対象でもありましたが、社会が進み、人は己が住みよいように環境を改善してきました。

今回の災害は、そんな人間に対する自然からの大きな警鐘と考える人も居る事でしょう。

しかしながら、自然にとっては、暴風であれ、大雨であれ、噴火であれ、地震であれ、それは、全て形を変える一事象に過ぎません。

が、その中で生活する人にとっては、己の生活を脅かす脅威には、怒り嘆き、生きる糧を与えてくれる実りには頬擦り感謝する。

自然から見れば、人は、何と身勝手な生命と映るのかもしれませんし、自分達が生き延びる為には、他の生命の犠牲など考えない愚かな人など、暴風で吹き飛ばし、雨で流し去ってくれようと思っているかもしれません。

さて、この国の神話には、暴風の神として、スサノオの神が登場してきます。
彼は、人を救う為に地上に降り、妻を娶り、暴風の如しに暴れ、人々を襲う邪を退治する。

そんなスサノオに、人々は、時に感謝し、そして悪神として恐れています。

しかし、本来、暴風の神であれ、太陽の神であれ、神的な力は、力そのものであり、正神も悪神もありません。

勿論、これらは、神話に過ぎないけれど、
人類の歴史上、スサノオの如し、何名かの神的な魂が地上に降りた事があります。

ある者は、仏陀と呼ばれ、シヴァと呼ばれ、キリストと呼ばれ、そして、その他数名は、地上の歴史には名も残ってませんが、共に、神的な使命に生き、最も高貴な世界と地上を繋ぐ唯一の存在でした。

彼らの魂は、本来、地上に降りる必然性も理由も無く、それでも、人類の救済の為に、高貴な身体を捨てても降りてきた、自己犠牲に満ちた霊魂です。

人から見れば、神の如し、力そのものですけど、人類の歴史には、そんな彼らを拒絶し殺した深い闇が眠っています。

そんな事を思いながら、
昨日の暴風は、弱き我々人間にとっては脅威。

霊的な世界にとっては、地上の蛇を退治する神的な恵みの力と、一人感じた一日でした。