場所・地名・所


 普段、地元の集会といえば一番近い所のものに出席しているんですが、この春頃から、他の地域の集会にも出席するようになりました。
 遠くの集会に出るということは、当然、時間的にも経済的にもそれなりの負担がかかるということですが、それでも出席すれば出席しただけのことは有るな、と感じたのが、春のことでした。
 しかし、出た方が良いと思っていても、現実に仕事に追われ始めると、ナカナカそれが出来ません。やっと夏になって、少し時間的な余裕が生まれたので、遠くの集会にもまた顔を出しました。

 先日は半年ぶりに、富士山の麓の集会に出席しました。個人的には最初の時よりも、瞑目もズッとスムースに進んで、やっとこちらの仲間に入れてもらえたのかな、と感じました。そう言えば、榛名山の麓の集会の時も、二度目に出たときは、同じ事を感じました。もしホントにそうなら、「○○での集会」と言ったとき、○○という地名が、想像以上に重い意味をもつのかも、という気がします。
ましてや、富士山の麓! 妄想をたくましくすれば、言わば、象徴的な集会。もっともっと盛り上がればイイなと思います。

 ところで、富士の麓の集会というと、東に住むわたしにとって、西にお住まいの皆さん(オーザッパな表現ですが)との貴重な交流の場、という意味も有るように思います。
 先日も、ナカナカ興味深いお話をうかがいました。たとえば、修行する人間が、最後に到達すべき所はどこか、という話。始めは皆、自分の抱える問題の解決のために、あるいは霊的な向上を目指して、ひたすら修行し努力するワケですし、そこを避けては次の段階に至れるハズもありませんが、最後までそれだけではダメらしいとのこと。ある程度、修行の段階も進み、経験も積み、それなりの力を持った時、その霊的な高さ、経験、力をどちらに振り向けるのか、何に対して発揮するのか、それこそがカナメ!のようです。

 個人的な聞き違いや勘違いも有ると思いますが、わたし的には、とても参考になりましたし、今後の進むべき方向のヒントにもなりました。
 取りあえず、わたしの経験や力(=かわいらしいのが有ったとして)を、できるだけあちこちの集会に参加することによって使おうかな、と思っています。