うぬぼれ


 先日の霊的集会でも様々なお話が有りましたが、「うぬぼれてる者に高い気は降りない」という所で、思わずドキッとし、緊張してしまいました、個人的には。
 自分が叱られているのではなか、と思ってしまうからです。
 でも考えてみれば、自分のことを叱って下さると思うこと自体が、すでに「うぬぼれ」かも知れず、ナカナカ難しいテーマだなぁと思います。
 ただし、お話の内容自体は明確でした。ある霊的な技法を行う時に、それが意味を持つのは、高級な霊魂が力を降ろしてくれるからこそだ。従って、その技法の際には、意識を指導霊に向けなければならない。技法を行う自分自身に力が有るなどと「うぬぼれてる者」には決して高い気は降りない。
 およそ、このような内容だったと記憶しています。

 「うぬぼれてる者」という言葉に反応してしまうわたしは、心のどこかにその種の暗い闇を抱えているのかも知れません。
 とは言えスグに、謙虚な人間になるぞ!と宣言する事には、ナニゲに腰が引けてしまい、また、ひたすら「未熟だ、未熟だ」と非難されると、幽体の意識はイジケて逆効果の場合も、というお話も有りましたし、ヤッパ単純ではないようです。
 「うぬぼれ」とは、「自分で自分を実際以上に優れていると思い、得意になっている状態や気持」と、辞書には有るようです。
 「実際の自分」がどの程度なのかが大問題ですよね、特に霊的な事柄に関しては。自分で、自分の霊的なレベルを客観的に把握することは、ホトンド困難な気がします。

 それでも日々、行を続けるのは、霊的に少しでも進歩したい、良く変わりたいと思うからでしょうから、そんな時に、チョッと好ましい変化(あるいは都合の良い誤解)が生じれば、待ってましたとばかりに、得意満面、うぬぼれそうです、個人的には…。モトモトそういう性格みたいですし。
 ドンドンふくれていく「うぬぼれ」に冷や水を浴びせてくれるのが、客観的な尺度じゃないとすれば、何でしょうか。指導霊さんや守護霊さんからの霊感でしょうか。あるいは親しい会員さんの痛烈な一言でしょうか。もちろん、最後の切り札、霊査を忘れてはなりませんが。

 いずれにせよ現実問題として、今後わたしが「うぬぼれ」ないということは、(お陽さんが西から昇ったとしても)有り得ない気がします。
 ですからせめて、指導霊さんからの力を自分自身の力だと錯誤するような、道からはずれた「うぬぼれ」だけには陥らないよう、この点だけは細心の注意を払いたく…。今日のところは、まぁこんなところで…。

 ・うぬぼれに気づいちゃったとうねぼれて