シューカイ


 霊的集会に初めて参加した時のことを、ボンヤリと憶えています、まだホンの4年前のことなんですが…。会のホームページや書籍を何冊か読み、地元の会にも一、二回すでに顔を出した後での霊的集会だったので、個人的な関心はひたすら、「ゼヒ、師に会ってみたい!!」でした。
 カブリツキに座ろうと突進したんですが、最前列だけはそれなりの資格がないと座れない席ということで、二列目に座ったところまでは憶えています。

 初めの頃、霊的集会に出席した主な目的は、「霊言を聞くこと」じゃなかったかと思います。やはり、霊魂学的な知識に飢えてましたし、取りあえず吸収できる(と考えた)のが、言葉や文字で表現された知識だった、ということでしょう。
 ダンダン出席の回数も増え、合宿にも出て、個人的な行にも慣れてくると、霊的集会に期待するものが、ビミョウに変ったように思います。

 それをハッキリ意識したのは、2年目の「霊的クリスマス」だったような記憶が有ります。聖書もロクに読んでないわたしは、イエス・キリストについて何も知りません。が、二千年前の歴史的な事実もさることながら、現在の霊的な事実こそが、イエスさんを理解する上で大切な事のように感じています、個人的には。
 その「感じる」「体験する」ことの重さに気づかせてくれたのが、2年目の霊的クリスマスでした。

 そして現在の霊的集会で、個人的に最も一生懸命になる時間を、あえて一つあげるなら、最初と最後の瞑目の時間でしょうか。もちろん、その他の時間はクツロイデるという訳でもありませんが。
 おそらく、ある事や物の持つ、霊的な意味は一つじゃない、ということでしょうか。

 ・君も見るだろうか リンゴ白書を (意味不明)